2017年のパリ・テロ情勢【現地報告】

ここ数年で、日本人にとって、パリは、テロの街とイメージが変わってしまいました。今年、2017年も、パリを初めとして、他のヨーロッパの都市で、テロが多発しています。

では、パリは、本当に恐ろしいテロの街なのでしょうか?

2017年、現地から、パリとテロの関係、パリ市民の暮らしぶりなどを、このブログで綴ってみたいと思います。

パリの移民は、2017年も増え続けています

サトミーナ
こんにちは!パリのコーディネーター・サトミーナです。(@SatominaS)

テロと移民問題の関わりついて、よく指摘されます。また、宗教的思想、民族間に起こる対立などのテロの原因を、私のような者が、アナライズして、一口には語ることもできないと思っています。

それは、とても複雑な問題だからです。私は、専門家で情勢を分析したり、研究したりする立場ではありませんが、現実に、そのテロに遭遇する、テロが起こった時に、その前も、その後も、その街に住んでいる日本人です。

現地で直接、肌で感じる、目に映るものが、そうした机の上だけの論議より、ある意味、リアルではないかとも思っています。

ここでは難しい、政治の話や宗教的思想を語るより、まず、パリの街では、いかに、生粋のフランス人が少ないかということに触れてみたいと思います。

今から20年以上前に、初めて、パリに来た時、驚いたことは、肌の色の違う人たちが、あまりにも多いことでした。

利権を求めて、植民地支配を続けてきたフランスは、そのために、多くの移民を受け入れる事となりました。また、3Kと言われる仕事を彼らに押し付けていたわけです。

でも、パリの外国人が、すべて、その植民地の国々の人たちか言えば、それは、違います。ヨーロッパ大陸、陸続きという立地から、EU圏内、ロシア、中東と多くの外国人がパリに移り住んでいます。

今までに、自由、平等、博愛のもと、フランスは、多くの難民の受け入れをしてきました。だからパリには、レバノン人、イラン人なども多く住んでいますし、彼は、内戦や革命、戦争で国から出てきた人たちで、難民としてパリに入ってきて、苦労したと聞きますが、今では、彼らの多くは、高学歴で裕福な生活をフランスで送っています。

パリの日本人も、移民、難民では、ありませんが、フランスでは、当然、外国人です。フランスには、アジア諸国、中国人、また、歴史的背景からベトナム人、カンボジア人などの移民も多く住んでいます。

パリの移民が皆、テロに関与しているわけではないのですが、テロリストたちのアイデンティティーは、皆、移民2世や3世であるため、パリに住む同じ移民たち、同じ宗教を信仰している人、全てが、テロの元凶のように見られてしうのも事実です。

これだけの人種の坩堝のパリ。NYよりコスモポリタンではないかと思ったくらいです。ただし、フランス国家は、移民に対して、同化政策をとっています。移民の受け入れ国として、フランスは、言語、文化を習得させて自国民との差異を減らし一体化させる主義で、それが、多元主義のアメリカやカナダと違う点です。

2017年になっても、解決の糸口が見つからないシリアの難民問題。今年、2017年のフランス大統領選挙でも、焦点となった難民受け入れ問題。そう、それだけ、どうしても防ぐことができないのが、この移民問題なのです。

もともとは、自分たちが、植民地として支配してきた国もあるのだから、因果応報、彼らが、フランスに入国してくることは、避けられないと思うのですが。今更、それを排除するというのは、いささか、おかしいのではとも思います。

こうした多くの移民は、生まれた国、教育、文化、風習、思想が違うわけですから、そこに生じる格差もあり、多くの問題が残されているわけです。

現実的に、この移民問題を解決するのは、難しいと思いますし、一概に、排除すればいい、テロがなくなるというわけではないとも思います。

前から、パリでテロは、起こっていた。

パリのテロといえば、ここ2〜3年の間に起こったように思われますが、1995年と1996年にも、パリの郊外地下鉄電車駅の爆破テロ事件がありました。

その時、私自身、すでにパリで、暮らし始めていたので、当時の状況をよく覚えています。

1995年の7月、暑い日の夏時間でまだ、日差しが強く照りつける午後5時過ぎ、パリ郊外急行RERC線とB線のサンミシェル=ノートルダム駅で、ガスボンベにボルト・ナットを詰めた爆弾が炸裂し、死者8名、重軽傷者117名の犠牲を出したテロ。

翌年、1996年の12月、パリ郊外急行RERB線のポルト・ロワイヤル駅で、4人が死亡、170人が怪我をした爆弾テロが発生。朝の通勤時間帯を狙ったテロで、負傷者の中には、日本人の学生もいました。

昨今のパリの同時多発テロとは、異なり、爆弾テロでしたが、当時、そのテロ現場の映像が仕切りなしにテレビで流れていてた、血なまぐさい記憶が、鮮明に記憶に残っています。

このテロは、フランスとの関わりが深い、植民地だった国、アルジェリアのイスラム原理主義者に夜武装イスラム集団によるものとされています。

多くのアルジェリア人が住むパリ。フランスが利権を求めて植民地にし、その国の人間が、フランスに移り住んでくることは、当たり前の事で、彼ら移民たちの2世は、差別に苦しんで、過激な思想に感化されていくことも、良いか悪いかは別として、理由として、わからないまでもない。

こうした過激派のテロ行為により、パリのイスラム教徒、アルジェリア人などは、皆、テロリストのような目で見られるようになって、さらに、彼らに対する差別は、2017年現在に至るまで、表向きは、軽減されているような政策がとられているが、水面下、白人、カトリックのフランス人たちから、さらに差別されるようになってきているように思います。

このテロ以降、パリの街中のゴミ捨ては、ビニールの透明(薄緑)になりました。それは、2017年の現在も変わることありません。ゴミ箱の中身が見るようにと、ビニールにして、爆弾や危険物を捨てる、置くことを防止しているのです。

パリで2回も息子がテロに遭遇するとは思っていなかった

こうした90年代のパリのテロ以降、アメリカ、NYの9.11の同時多発テロの発生がしました。

実は、あのNYの貿易センターに航空機で追撃して起こった爆破テロと同じように、当時、パリのエッフェルタワーにも、航空機が突っ込むとと言う爆破テロが計画されていたと聞いています。

世界同時多発テロを計画していたのでしょうが、事前に防ぐこともができ、パリ市民も喉元過ぎれば熱さ忘れるで、テロとは無関係で関心のないような日常生活を送っていた中、突然、2015年に恐ろしいテロ事件が発生し、パリの人たちの動揺は、計り知れないものがありました。

息子の高校と我が家は、徒歩5分という近さ。年が明けたばかりの1月のその日、学校が午前中休講の息子が、「大変だ!大変だ!今、パリのバスティーユで、発砲テロ事件が起きている!」と電話で叫んでいたので、テレビにスイッチを入れた。

その時、シャルリー・エブド襲撃事件が起こっていて、ちょうど、週刊誌「シャルリー・エブドー」編集部に武装した犯人が襲撃し、逃げているところで、警官と打ち合っているシーンが、テレビで流れた。

警官と犯人の銃撃戦の打ち合いで、警官が撃たれた場所は、普段、いつも歩いて通る大通りで、見慣れた光景が、テロ現場として、生々しく目に入ってくることに、寒気がして、本当に、怖かった。

「そんな近くで何が起こっているのだろう?」息子のレオナルドは、午前中、学校が休講で、その界隈の友達の家にいるらしかった。「絶対に、外出してはダメ」と私に電話で言っておいきながら、本人は、学校へ向かっていった。

犯人が逃走していて、捕まっていない恐怖の中、パリ市民は、普通に生活していた。少なくとも、息子の学校も普段と変わらないまま授業を続けていた。

事件発生の翌々日、シャルリー・エブドー銃撃テロ容疑者が、パリの端、20区とヴァンセンヌの境界線にあるユダヤ人食品専門スーパーマーケットに立て篭り、人質事件が発生したのです。

その時も息子は、午後から、所属しているサッカークラブが、ヴァンセンヌにあるため、お昼頃、自転車で、そちら方面に向かっていた。そして、目の前に事件が入ってきて、現場のスーパーから500メートル離れた、近くにある友人の通う高校に逃げ込んだ。

この時は、学校側も、緊急事態発生で、生徒、また、うちの子ような他校の子でも校内にいる生徒すべてを教室にかくまった。その時、私は、息子と携帯電話でやりとりしていた。助けに行きたくてもいくこともできない。

一昨日のテロも、この日のテロも、パリの東側で起こっており、我が家にも、救急車や消防車、ポリスのサイレンが鳴り響いていた。

パリでの外出を控えることは、当然と判断し、家に、こもり、テレビと、息子との携帯電話でのやりとりで、1日が過ぎていった。そして、息子が、友人の学校から、解放されて、外に出ていいとされたのは、午後5時過ぎ。

事件が発生した正午から、SAT(特殊奇襲部隊)による突入が終わってからも、子供達は、すぐには、解放されることはなかった。安全面を考えれば、当然の処置であって、私も、夕方、迎えに行った。

こうして、3日間によるパリのテロ後、多くの追悼セレモニーがパリで行われ、これで、パリのテロは、一旦、終止符を打ったように思え、少しずつ、パリも平和に穏やかになってきていたところだったように思う。

息子も、本来、シングルマーザーに育てられているせいか、精神的に強く、この2回のテロ現場に遭遇するこという経験が、トラウマのようになったりする事はなく、普段通りに、高校生活を続けていた。

世界を震撼させたパリの同時多発テロ

パリに少しずつ観光客が戻ってきた同じ年、2015年の11月。1月のシャルリー・エブドー銃撃&ユダヤ食品スーパー人質テロ事件から、普段のパリに戻りつつある頃、13日の金曜日にそのテロ事件が発生した。

サッカー競技場付近での爆弾テロ、パリの東側、サン・マルタン運河界隈、コンサート会場、バスティーユ近くのシャーロンヌ通りなどで同時に銃撃テロが起こった。

その夜、息子は、サッカーの試合をスポーツカフェで観戦していた。現場に近いサンマルタン運河あたり、共和国広場界隈にいた。自転車に乗って、帰宅する途中、いつもの通る道、シャローヌ通りで、テロの現場に遭遇してしまったらしい。

自転車に乗っている間、どこからか聞こえてくる、銃声の音。シャローヌ通りに入った途端、警察官に止められ、ホールド・アップ。警官から、銃を突きつけられたそう。そりゃあそうですねよ。ポリスから見れば、彼だって、容疑者かもしれないのだから。

息子は、本当に、その時は、背筋が凍りついたと言っており、テロが起きていることもまだ、知らなかった。「いったい何があったのか?」その時、警官は、教えてはくれなかったそう。

その時の映像は、日本のテレビでも放映されているが、息子は、大声で、仕切りなしに、警官に「一体、どうしたっていうんだ??」と叫んでいた。

事態を把握した彼、また、警官から容疑者でないと確認され、すぐさま、近くの友達の家に避難した。彼の携帯電話には、さっきまで、一緒にサッカー観戦していた友達やクラスメイトから、「今、自分たちのすぐ近くで、何やら恐ろしい銃撃テロが起こっていること。」「早く逃げろ!うちに来い!」との連絡が、入っていたそう。

彼の親友は、銃撃テロ事件の現場の一つ、カフェ「ベル・エキップ」すぐ近く。親友の家に着き、電話をもらい、「ママ!絶対に、外にでちゃダメ!」と注意され(それは、私が息子に言いたい言葉だけど、、、)。

友達のお父さんとも話して、「テロ事件が、まだ、収集していない今、絶対に外に出てはいけないので、レオナルドは、我が家で預かるから、安心して!朝になっても、すぐに帰ることは、危険だから、また、連絡しますね」と言われ、私も無事を聞いて、とりあえず安堵した。

それでも、我が家のテレビから、仕切りなしにテロ現場について放送されている。バスティーユ、マレは、現場が近いだけでなく、救急消防車がパリの主要な病院に負傷者を運ぶルートになるので、一晩中、サイレンが鳴り響き、その大惨事と恐怖を考えると、この世の終わりなのでは?とまで思ったほど。

こうして、2度もテロに遭遇してしまった息子を持つ親として、まさか、こう何度も現場近くにいて、テロに巻き込まれなかったことを考えると、今でも、冷や汗が出てくる。ラッキーだったと言うのだろうか。

ただ、単純に、自分の息子が犠牲者にならなかたことを喜ぶことができない。このパリ同時多発テロ事件、コンサート会場での銃撃発砲テロにより死者130名、負傷者300名以上を生んだ。2017年現在でも、入院してる負傷者や、銃撃で顔半分が飛ばされて生き残っている人たちもいるからだ。

パリの街は、小さい。東京の山手線の内側にすっぽり入ってしまう程度。その中に住む人も限られてくるので、このパリ同時多発テロの犠牲者に、パリの人たち自身の友達や、知り合いが必ず含まれているのです。

友達の友達が、コンサート会場にいた、とか、バタクランのコンサート会場の上に住んでいる人が同僚だったとか、パリの人たち、自分たちの身近な人たちが、たまたま、その現場にいて、テロに巻き込めれ、命を落としてしまったたと言う現実は、計り知れないほど、大きい喪失感だった。

息子の知り合いも、最年少の犠牲者(当時17歳)の隣の高校の女の子で、お父さんとバタクラン劇場のコンサートに来ていて、彼女は、銃に撃たれ、即死。お父さんは、生き残っている。

このように、パリの人たちの知り合いや友達に必ず、一人の犠牲者や負傷者がいるという現実が、どれほどの規模のテロであったか想像できる。

2017年になってもパリのテロは収まらない

パリ同時多発テロ事件後から今年、2017年も、国家の非常緊急事態が続いている。

そして、その間、フランスでは、何度もテロ未遂事件が処理されてきたが、去年、2016年、7月の革命記念日(パリ祭)に、フランスのニースで、トラックで人を将棋倒のように引いていくというテロ事件が発生してしまった。

ヨーロッパの都市では、空港、クリスマスマーケット、コンサート会場などで、頻繁にテロが発生するような世の中に変わってしまった。

今年、2017年、5月に、フランスは、大統領選挙が行われ、新しい大統領が選ばれたが、その大統領選挙投票直前には、世界で一番美しいと言われるパリのシャンゼリゼ大通りで、警官に発砲する、銃撃テロが発生して、多くの観光客が現場付近にいて、大混乱になった。

パリ市民にとっては、慣れてしまった光景でもある、パリの街中のミリタリーの巡回、警察官の巡察。日本人観光客から、それだけ見れば、そのパトロールを見るだけで、パリが恐ろしい街に変わってしまったのかという印象だ。

まるで、迷彩柄のユニフォームを着たミリタリーが戦闘機関銃を抱えながら巡察している姿は、それだけで、威圧感がある。軍隊が行き交う戦場だと思われる。

現在、2017年、パリのテロ対策として、スーパーマーケット、デパート、市役所、区役所、コンサート会場、オペラ座、ルーブル美術館やベルサイユ宮殿などの大小様々な観光名所や美術館などで、警備員によっる入館前の荷物検査がさらに、徹底されるようになった。

パリ同時多発事件後、すぐにこうした警備を増やし、入館の荷物検査をスタートさせ、まるで、どこもかしこも空港のような検査になったのだが、実際、警備の人たちは、立っているだけで、バックの中身をみたりしないことも多く、随分と、緩やかな警備体制だと思っていた。これは、個人のプライバシーの問題もあるので、中身を見る行為自体が難しいとも聞く。

それでも今年、2017年、イギリスのバーミンガムのコンサート会場で発生したテロ事件後、さすがに、パリもコンサート会場、オペラ座などの入館チェックを、今まで以上に真剣にきちんとするようになったように感じる。

だから、こうした荷物検査があることが前提なので、パリ旅行中に、オペラ座で観劇する場合などは、少し早めに劇場についていることをお勧めします。

パリ市民は、テロをどう感じている?

ある意味、慣れてしまった感がある。「テロに屈しない!」とか、「テロに負けない!ために普段通りの生活を送っていく」と、同時多発テロ事件後は、フランス人特有の連体感があったように思うが、実際、現在、2017年、パリで暮らしていると、それも、薄れてきているように感じる。

ただ、テロと背中合わせな状態であること。頻繁に報道されるパリのテロ未遂事件。

そうしたことから、今を生きるパリの人たちは、テロというものが、どこで起きても、今、自分の目の前で起こってしまても、不思議でないと言う認識がある。

日本は、北朝鮮からのミサイル発動によるアラームがあるそうだが、パリでは、テロ警戒アラームがあり、私も、一応、iphoneにアプリ入れてある。

一度、パリのど真ん中、レアールのショッピングセンターで、テロ発生でアラームが鳴ったことがある。どうもテロは誤報だっらしいが、現場の警察官の数など、その界隈は、すごいことになっていた。

ノートルダム寺院やルーブル美術館などでは、すでに、発砲未遂事件や、警官による発砲や射殺事件が起こっている。

私たち市民を守る警察官や軍隊の人たちのストレスも計り知れないものがあると思う。疑わしき者、テロリストなのか、そうでないのか、見えない敵と最前線で戦っているのは、やはり彼らだ。

こうした中、全くの無実であるパリの中国人が、警官によって、射殺されてしまった。ただ、夫婦喧嘩をしていただけの中国人らしい。それ程に、警察官たちは、ストレスが、マックスに達しているのだと思う。

そして、その彼ら、警察官たちがテロの標的とされ、シャンゼリゼ銃撃テロが起こってしまたわけだ。最近のパリの警察官たちは、前ほど、穏やかでなく、交番や、警察署もイライラしている雰囲気が感じられる。これも、見えない敵、テロとの戦いのせいだろう。

それでも、今年、2017年、近いうちに、フランスは、テロ事件発生後、解除を引き延ばしてきた国家の非常緊急事態を解消することになると聞いている。

そうすると、パリの街中をパトロールするミリタリー達も減るのでなないだろうか、、、。果たして、この非常緊急事態を解除してしまって良いのだろうか?それは、私にはわからない。

でも、緊急事態でもそうでなくても、今では、パリの人たちは、また、必ず、いつか、近いうちに、テロ攻撃されるであろうと思っていることには変わりがない。

それは、上記で書いた、自由、平等、博愛をモットーとするフランスという国が持つ矛盾であって、これからも移民を受け入れていく以上、避けられないからだ。

移民が悪いわけでは、ない。でも、人の考えというのは、いろいろな縁に触れて、変わっていくものであるから、テロ行為を正当化する思想が生まれてくるのであろう。

正しい考えを持つことが、いかに大事かということを教えらる。ただ、誰もが自分が正しいと思って行動してしまっているので、こうしたテロ行為をする人たちも、本人たちは、正しいことを行っていると思っていることが悲しいですが。

人、一人の命は、尊いものです。争いや戦いで得られることなど何もないはずなのに、、、。

フランス経済の行き詰まりから、一向に回復しない失業率などを理由に、こうした思想に傾いていくことによって、パリの治安自体も一昔前に比べれば、どことなく、殺伐としている気がします。

でも、だからと言って、パリは、治安が悪いといえば、それは、日本と比べればであって、日本ほど、未だに、安全で治安のいい国は、ないのだから、比べる方が無理があるのではないかと思います。

昨今の日本も治安に関しては、問題視されてきていますが、それでも、大陸のヨーロッパ、フランスの首都パリとは全く違います。

パリが治安が悪いと言うだけでなく、日本人の私たちが、日本人感覚でいること、パリがおしゃれで、美しい街とだけで考えていると、現実、にパリに来て、目に映るのは、テロで恐ろしくて、泥棒やひったくり多い、治安の悪いという印象になってしまうのでなないかと思います。

パリの人たちは、自分の身は、自分で守る。テロだけは、防ぎようがない。だから、もし、明日、自分が巻き込まれたら、それは仕方がないことだと、実際に被害を受けていないからそういうことを言ったり、考えたりするのかもしれなし、実際、自分が被害者になったら、パニックになるとは思いますが、一応、こうやって、自分自身で、それぞれ、腹をくくっているようにも見られます。

まとめ

さて、現実問題として、日本から観光旅行、または撮影関係、ビジネストリップ、留学などでパリに来られる方、パリ計画されている方から、2017年のパリのテロ状況やパリの治安に関して、多くの問い合わせをいただきます。

いつ起こるかわかないテロと隣り合わせのパリにわざわざ出向く必要もないように思いますが、今は、どこでもテロが発生してもおかしくない世界情勢です。パリだけが、特別に怖い街ということもないというのが私個人の意見です。

こうしたパリのテロ状況を踏まえて、パリ行きを決めていただけばよかと思いますが。計画もできる限り、ギリギリに方が、もし、テロが発生して、キャンセルしたい場合を考えるといいかもしれません。

日本の海外旅行保険にもオプションで、テロ対策があります。旅行中、現地でテロが発生した際に、帰国便のチケットなどをカバーしてくれるようです。

2017年、9月に2024年のオリンピック開催の都市が決まります。東京オリンピックの後の開催地ですが、パリが最有力候補地、本命とされています。

パリ=(イコール)テロの街というイメージ払拭に向けて、さらにパリは、変わってくる。良くなる事を願っています。それくらいパリって、本当に、素敵な街ですから。

1 個のコメント

  • パリの現状について、大変参考になります。ありがとうございます。

    私は10年ほど前に数回パリに行ったことがあります。当時、娘が留学していて、19区に下宿してました。ひったくりやレイプなどの話も聞こえてましたので、心おだやかではありませんでした。

    はっきり申し上げて私のパリ経験もあまり良くありません。
    まず、空港のATMでお金が出てこない。地下鉄の通路は暗くて汚くてよくわからない。浮浪者があちこちにたむろして、こちらを見ている。(気持ち良くはないですね。)地下鉄に乗り込む直前に、私の後をつけてきた2人組みの男たちにひったくりに合いそうになった。(1度ならず、2度ありました。)道を歩いていると、犬の糞がそこらじゅうに転がっている…

    ちょうどクリスマスの頃でしたか、パリ郊外で百台を越える自動車が放火で燃える、という事件があり、結構怖いなと娘に話すと、娘は、毎年そんな感じだよ、と平然としていました。慣れというものでしょうか。

    食べ物はおいしかったです。どの街角にもカフェがあり、そこで飲むワインやカプチーノも良かったし、特にパンとチーズはおいしかった。

    また、家族で行った、風光明媚な南フランスのワイナリー巡りも巣晴らしかったです。

    これからも、パリの魅力をどんどんご紹介ください。たのみにしております。

    O’Hira Hiroshi

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